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◆骨董コラム◆奇跡の輝き:七宝(しっぽう)に秘められた歴史と華麗なる技法

◆骨董コラム◆七種の宝石 七宝工芸の美

七宝(しっぽう)は、金属の基板の上にガラス質の釉薬を乗せ、高温で焼き付けることで生まれる工芸品です。その鮮やかな色彩と光沢は、仏教で尊ばれる七種の宝(金、銀、瑠璃など)になぞらえられて名付けられました。七宝の歴史は紀元前に遡り、世界中で発展を遂げながら、日本では独自の進化を遂げてきました。

この記事では、七宝が歩んだ歴史と、その美しさを生み出す多様な技法をご紹介します。


七宝の歴史:古代エジプトから日本の輸出品へ

世界における起源と発展

七宝の歴史は古く、紀元前の古代エジプトにまでさかのぼります。ツタンカーメンの黄金の面にも青色のガラスが使われていました。中世ヨーロッパでは、キリスト教の聖具に技法が用いられ、多くの遺品が残されています。

東洋では中国で大きく発展し、特に明代の景泰(けいたい)年間に盛んになったことから、中国の七宝は**「景泰藍(けいたいらん)」**と総称されるようになりました。

日本での独自の進化

日本における最古の七宝は、奈良県の牽牛子塚古墳から出土した亀甲型七宝金具とされています。

  • 江戸時代初期: 平田彦四郎道仁が朝鮮の技術者から技法を学びますが、この頃の七宝は**「泥七宝(でいしっぽう)」**と呼ばれ、現代のような強い艶はありませんでした(桂離宮の建築金具などに使用)。
  • 幕末〜明治時代: 日本の七宝は飛躍的な発展を遂げます。尾張の梶常吉がオランダ七宝を研究し、興隆の端緒を開きました。塚本貝助とドイツ人科学者ワグネルによる釉薬改良により、光沢のある透明釉薬が開発され、七宝は日本の代表的な輸出品となりました。

七宝の代表的な技法:線が創る美と色が溶け合う美

七宝の美しさを決定づけるのは、金属線や箔を使った多彩な技法です。

1. 有線七宝:境界線を持つ美

金属の素地(銅板など)に銀線を曲げたり切ったりして模様の輪郭を作り、その銀線と銀線の間に色とりどりの釉薬を盛り付け、高温で何度も焼成を繰り返す技法です。

  • 特徴: 銀線があるため、はっきりとした色分け明確な模様が表現できます。釉薬に酸化金属を混ぜることで、赤、青、黄、紫など多彩な色彩を表現可能です。

2. 無線七宝:グラデーションの極致

作業の初めは有線七宝と同じですが、色付けの釉薬を盛った後に銀線を取り除いて焼成する技法です。

  • 特徴: 釉薬同士の境目がなくなり柔らかな色合い繊細なグラデーションが生まれます。明治20年(1887年)に濤川惣助が実用化し、万国博覧会で高い評価を受け、日本の七宝を世界に知らしめました。

その他の独特な七宝技法

技法名特徴と魅力
箔七宝素地に焼成した釉薬の上に金箔や銀箔を貼り付け、その上から透明または色付きの釉薬を盛って再度焼成する技法。箔の輝きが釉薬を通して透け、豪華な表現が可能です。
赤透技法特殊な赤色の釉薬を使う技法で、「尾張七宝」として国の伝統工芸品にも指定されています。透明感のあるルビーのような赤色が、七宝焼きを世に知らしめたと言われるほど美しい色彩表現です。
省胎七宝日本で独自に発展した技法。素地の金属を溶かし、釉薬の層だけで作品を形成する独創的な技術です。

現代に残る七宝の価値

明治期には、濤川惣助(無線七宝の実用化)と並川靖之(有線七宝の名工)という二大名工が登場し、国内外の博覧会で数々の賞を受賞。七宝は、図案決定から焼成、覆輪付けまで分業生産で行われることで発展しました。

七宝工芸は、その精緻な技術と宝石のような美しい色彩表現によって、日本の伝統工芸の素晴らしさを伝える貴重な文化遺産として、現代でも多くの人々を魅了し続けています。

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