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◆骨董コラム◆庶民の浮世絵が、芸術性あふれる美人画になるまで
江戸時代に庶民の娯楽として誕生した浮世絵は、やがて日本独自の芸術「美人画」へと発展しました。その流れを振り返ると、時代とともに女性像の描かれ方や役割が大きく移り変わっていったことが分かります。
浮世絵誕生と美人画の始まり
桃山時代の風俗画を描いた御用絵師に対し、江戸時代には町絵師が庶民の生活や流行を描き「浮世絵」という新しい絵画ジャンルが生まれました。
初期は本の挿絵が中心でしたが、やがて江戸の庶民でも買える 一人立ち美人図 が人気となり、菱川師宣が肉筆の美人画にまで高めました。
錦絵の登場と人気作家
18世紀半ば、鈴木春信が考案した華やかな多色刷「錦絵」によって浮世絵は大ブームとなります。
続く江戸中期には、
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スラリとした八頭身美人を描いた鳥居清長
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女性の内面まで表現した喜多川歌麿
といった絵師が登場。歌麿の大首絵はアイドルのブロマイドのように庶民から熱狂的な人気を集め、着物のおしゃれや仕草の参考にもされました。
明治期の「美人画」ブーム
明治時代になると、西洋画に対する言葉として「日本画」、さらに新しいジャンルとして「美人画」という呼び名が生まれます。
1907年に始まった「文展(文部省美術展覧会)」をきっかけに美人画ブームが起こり、呉服店のポスターや広告にも盛んに利用されました。大正期には女性画家も数多く登場し、清純な美人から情念を秘めた女性まで、多彩な美人像が描かれるようになります。
近代美人画の二大巨頭
明治から昭和にかけて活躍し、美人画を芸術の高みに押し上げたのが 上村松園 と 鏑木清方 です。
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上村松園(京都)
京都画壇の伝統を受け継ぎつつ、気品と優美さを兼ね備えた女性像を描き続けました。女性として初めて文化勲章を受章し、近代美人画の第一人者となります。 -
鏑木清方(東京)
江戸っ子らしく庶民の感覚に根ざし、浮世絵の流れをくむ親しみやすい美人画を制作。日常の中にある女性の姿を、しなやかで抒情的な筆致で描きました。
まとめ
浮世絵から始まった庶民の娯楽は、やがて近代美人画として芸術性を備え、日本文化の大きな柱となりました。そこには「流行や憧れを映す美人像」と「芸術として昇華された美人画」という二つの顔があり、江戸から昭和にかけて多様な女性像が描かれてきたのです。