お役立ちコラム
COLUMN
戦国の炎と茶の湯の美学:武将と茶人が育んだ日本のやきもの史
戦国時代は、激しい戦乱の陰で、茶の湯という独自の文化が花開いた時代です。武将たちが陶工を保護し、茶人が新しい美意識を追求した結果、やきものは単なる道具から芸術へと昇華し、志野、織部、楽をはじめとする日本を代表する名窯が次々と誕生しました。この時代のやきものの流れは、まさに「戦国やきもの絵巻」と呼ぶにふさわしいものです。
1. 戦国時代の幕開けと茶陶の源流
戦国の時代は、日本独自の釉薬を用いた陶器の源流が生まれた時期です。
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日本独自の白釉の始まり:1480年頃、志野宗信が志野焼を始めたと伝えられています。美濃の窯から、日本独自の白釉茶陶の原点が芽生えました。
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楽焼の誕生:永正年間(1504〜1521年)には、帰化人・阿米夜が楽焼を発明しました。この素朴な焼き物が、茶人に愛される茶碗文化のスタートとなりました。
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この頃、遠江の戸呂焼、長門の萩焼など、各地に新たな窯業が始まっています。
2. 武将による陶工の保護と政治利用
織田信長や豊臣秀吉といった戦国大名は、やきものを政治や国威を示すための文化的な武器として利用し、陶工を積極的に保護しました。
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信長の保護(1560年代〜):信長は、1563年に瀬戸の陶工六人を**「瀬戸六作」と定めて保護し、茶と器を政治的に利用し始めました。また、この頃、美濃では加藤与三右衛門らによって美濃焼**の基礎が築かれました。
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秀吉の厚遇(1580年代〜):秀吉は1582年に備前の陶工たちを**「備前六家」**として保護・厚遇しました。
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「楽」ブランドの確立:秀吉は1588年、千利休の指導で楽焼を始めた初代長次郎に**「楽」の金印**を授与し、公認の茶陶ブランドとして認定しました。秀吉は、この文化を国威発揚のために大茶会で利用しました。
3. 茶人による美意識の確立と革新
千利休や古田織部といった茶人たちは、自らの美学をやきものに反映させ、革新的な様式を生み出しました。
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利休と長次郎:初代長次郎は利休の指導のもと楽焼を始め、茶の湯の精神に寄り添う、素朴で侘びたやきものを誕生させました(1574年)。
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織部の組織化:古田織部は1585年に**「正瀬戸十作」**を選び、瀬戸の陶工たちを組織化しました。これは茶器の世界にも人材選抜の風を吹かせた出来事です。
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時代の終焉:1589年に初代長次郎が、1591年に千利休が逝去し、戦国茶陶の一つの時代が幕を閉じました。しかしこの間にも、織部焼や常滑焼、丹波焼など、次代を象徴する重要な窯が動き始めていました。
まとめ
戦国時代を生き抜いたやきもの文化は、武将の庇護という後ろ盾と、茶人の革新的な美学によって大きく飛躍しました。信長や秀吉が政治や権威に利用した「もう一つの武器」であった茶陶は、やがて桃山文化を象徴する華やかな存在へと成長し、志野、織部、楽、萩、備前といった、日本陶器史に燦然と輝く名窯として後世に受け継がれていったのです。
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