玉手箱コラム
2025.04.25
◆骨董コラム◆始まりの磁器 伊万里焼
伊万里焼の歴史と特徴
伊万里焼とは
伊万里焼は、日本で最初に焼かれた磁器で、佐賀県西部(現在の伊万里市、有田町など)で17世紀初頭から焼かれるようになった焼き物です。透き通るような白い磁肌と繊細な絵付けが特徴です。
歴史
- 起源(1610年代〜)
- 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592〜98年)の際に連れてこられた朝鮮の陶工たちによって始まりました
- 1616年(元和2年)、朝鮮から来た李参平が佐賀県有田町の泉山で良質の磁器原料となる陶石を発見したことが始まりとされています
- 日本で初めての磁器として歴史的に重要な意味を持ちます
- 名前の由来
- 伊万里焼は「伊万里津(港)」から各地へ船で運ばれたことからこの名前がつきました
- 実際に作られたのは有田町などですが、輸出・流通の拠点となった港の名前で呼ばれるようになりました
- 発展期(17世紀中期〜後期)
- 1659年(万治2年)から本格的な海外輸出が始まり、約100年間続きました
- 中国の明朝から清朝への政変により中国磁器の輸出が止まったため、その代替品として伊万里焼が欧州で人気を博しました
- 17世紀末から18世紀前半には、200万個以上が海外へ輸出されたという記録があります
- 鍋島藩窯(17世紀中期〜明治初期)
- 1628年(寛永5年)に鍋島藩が公式の窯を設置し、1675年(延宝3年)に伊万里の大川内山に移りました
- ここで焼かれた高級品を「鍋島焼」と呼び、将軍家や諸大名への献上品、贈答品として使われました
- 明治4年(1871年)の廃藩置県まで続きました
- 近代以降
- 明治時代以降は「古伊万里」(江戸時代の伊万里焼)と区別するようになりました
- 現在、大川内山には約30の窯元があり、伝統技術を守りながら焼き物作りを続けています
特徴
- 素材と技法
- 白く透き通るような磁肌が特徴です
- 生掛け(素焼きをせずに釉薬をかける技法)や濁手(にごしで:乳白色の素地)などの独特の技法があります
- 呉須(藍色の顔料)による染付と、赤・黄・緑などの色絵付けが特徴的です
- 主な種類
- 白磁:素地に透明な釉薬をかけて白さを活かしたもの
- 染付:白磁に呉須(藍色)だけで絵を描いたもの
- 色絵:白磁や染付に赤や金などの上絵を描いたもの
- 青磁:青緑色の釉薬をかけたもの
- 瑠璃釉:透明釉に呉須絵の具をまぜた釉薬をかけたもの
- 鉄釉:鉄分の多い釉薬をかけたもの(錆釉・黄釉・鉄漿など)
- 代表的な様式
- 初期伊万里(1610〜40年代):朝鮮の影響を受けた厚みのある素朴な作風
- 古九谷(初期色絵)様式(1640年代〜):色絵磁器が始まった時期の様式
- 柿右衛門様式(1660〜90年代):
- 乳白色の素地に鮮やかな色彩(赤・青・緑・黄など)で描かれた優雅な色絵付け
- 余白を多く取る構図が特徴で「余白の美」とも呼ばれる
- ヨーロッパの磁器製造に大きな影響を与えました
- 古伊万里様式(1690〜1740年代):金彩を多用した豪華な作風が特徴
- 鍋島様式:藩窯で焼かれた最高級品で、厳格な品質管理のもと制作された優美な作品
代表的な作品
- 白磁杏葉形皿:素地に透明な釉薬をかけ、白さを活かした優美な形の皿
- 染付唐獅子牡丹文壺:白磁に藍色の呉須で絵付けされた壺
- 色絵仙人文皿:白磁に赤や金などの上絵で仙人を描いた華やかな皿
- 青磁太鼓形香炉:青緑色の釉薬をかけた太鼓形の香炉
- 瑠璃釉金彩牡丹唐草文皿:藍色の釉薬と金彩で装飾された豪華な皿
- 色絵梅鶯文皿:柿右衛門様式を代表する、梅と鶯を描いた美しい皿
- 色絵更紗文皿:鍋島焼の特徴である規則的な模様で装飾された皿
- 染付秋草文皿:秋の草花を繊細に描いた鍋島焼の代表作
伊万里焼の価値
- 世界初の東洋磁器として、ヨーロッパの王侯貴族を魅了しました
- 17〜18世紀のヨーロッパでは、磁器を製造する技術がなく、伊万里焼は宝石のように珍重されました
- 特に鍋島焼は、最高級品として現在も高い芸術的価値があります
- 国内では、江戸時代に庶民の生活に磁器文化を広めた功績があります
- 現在も伝統工芸品として国内外で高く評価されています
伊万里焼は、日本が世界に誇る磁器文化として、400年以上の歴史を持ち、今日まで受け継がれる貴重な工芸品です。そのきめ細やかな白い肌と繊細な絵付けは、日本の美意識を象徴する芸術作品といえます。