お役立ちコラム
COLUMN
芸術への覚醒と世界への飛翔:大正から昭和戦後を駆け抜けた日本の陶芸史
1905年から1964年までの約60年間は、日本の陶芸が伝統工芸の枠を超え、「芸術作品」として自立し、国際的な地位を確立した激動の時代です。技術と美術の融合、戦時下の試練、そして戦後の復興という三つの波が、日本の陶磁器界を大きく揺さぶり、そして形作りました。
1. 黎明期:地方窯の勃興と国際交流の芽生え(1905年〜1921年)
この時代は、全国各地で新しい窯が独立し、陶芸家の活動が活発化した時期です。また、海外からの影響が日本の工芸界に新風を吹き込みました。
地方への技術の伝播
名工の技術が遠隔地へ伝わり、地方の窯業振興につながりました。1905年、横浜で活躍した名工・宮川香山が山本直良に招かれ、避暑地・軽井沢(長野県)で三笠焼を始めています。また、京都の陶工泉山了谷が1909年に北海道岩見沢で了谷焼を開くなど、陶芸の中心地であった京都や大都市圏から、新しい技術が地方へ伝播していきました。
この時期に生まれた主な地方窯としては、石川県の能山焼(1910年)や小木焼(1929年)、長野県の松緑焼(1912年)や女鳥羽焼(大正年間)、そして群馬県の関東焼(1921年)など、地域色豊かな窯が多数あります。特に、野崎外三郎らが1916年に京都から原料を求めて札幌で伏古焼を始めた例は、新たな原料や環境を求めて陶工が移動したことを示しています。
芸術性と学術研究の胎動
陶芸家が単なる職人ではなく、芸術家としての意識を持ち始める動きも顕著でした。1919年に京都で発足した赤土会は、芸術性を追求する若手陶工たちのグループ活動であり、後の自由な創作活動の土壌となりました。
さらに、1914年には大河内正敏らが古陶磁研究の彩壺会を発足。これは、作品を単なる製品としてではなく、歴史的・美術史的な視点から研究する学術的な関心が高まり始めたことを示しています。
バーナード・リーチ来日
1909年、イギリス人陶芸家バーナード・リーチが来日したことは、日本の工芸史において極めて重要です。彼は日本の伝統的な陶芸の美を見直し、後に柳宗悦らとともに民藝運動を興すきっかけを作りました。国際的な視点と日本の伝統的な価値観が交差した瞬間でした。
2. 動揺と学術研究の確立(1923年〜1945年)
関東大震災と世界大戦という大きな社会の動揺の中で、陶磁器界は研究機関を確立しつつ、戦争による統制という困難に直面します。
大震災と研究機関の設立
1923年の関東大震災は、東京・横浜周辺の窯業に大きな打撃を与えました。しかしその翌年の1924年には、日本の陶磁器界に大きな遺産を残す東洋陶磁研究所が設立されます。この研究所は、東洋の古陶磁に対する本格的な研究を担い、1931年には機関誌**『陶磁』を創刊**し、研究成果を広く共有することで、日本の陶磁史研究の礎を築きました。
芸術の公的な位置づけと戦時統制
1937年の帝国芸術院の設立は、陶芸家が国家的な芸術家として認知され、評価される体制が整い始めたことを意味します。芸術としての地位は向上しましたが、1941年に太平洋戦争が始まると状況は一変します。
1943年には日本美術工芸統制会が発足し、陶磁器を含む美術工芸品の生産と流通が、国家の厳しい管理下に置かれました。自由な創作活動は制限され、窯業は戦時体制下の困難な時代を迎えました。1945年の終戦とともに、東洋陶磁研究所は解散しましたが、この試練の時代が、戦後の陶芸の爆発的なエネルギーを蓄えることになります。
3. 戦後復興と世界への飛翔(1946年〜1964年)
戦後、統制から解放された陶芸界は、新しい組織を発足させ、表現の自由を謳歌し、国際的な評価を一気に高めます。
新しい組織と自由な創作活動
1946年、戦後の陶磁器界を主導する中心的な団体として日本陶磁協会が発足します。翌1947年には、新匠会、京都陶芸クラブ、四耕会など、多様な芸術思想を持つ陶芸家たちによる新しい団体が次々と発足。これにより、それぞれの個性に基づいた自由な創作活動が活発化しました。
芸術的地位の確立
戦後の陶芸界にとって最大の出来事の一つは、1953年の板谷波山の文化勲章受賞です。彼は陶芸家として初の受章者となり、これは陶芸が単なる工芸ではなく、国家が認める**「芸術」**としての地位を確立したことを象徴しています .
国際舞台への進出
この時期、日本の陶芸は国内での地位を固めるとともに、海外へと目を向けます。1962年に日本名陶百選展が開催され国内の美意識が再確認された後、1964年には日本で初めて国際陶芸展が開催されます。これは、日本の陶芸が世界の現代アートの文脈へと踏み出し、国際的な交流と評価の時代に入ったことを示す記念碑的な出来事となりました。
変貌を遂げた日本の陶芸
1905年から1964年の期間は、「地方窯の多様化」、「ワグネルやリーチに始まる国際的な影響の受容」、「東洋陶磁研究所による学術的基盤の確立」、そして**「戦後の芸術家主導による再編」という流れを経て、日本の陶芸が伝統の重みを保ちつつ、世界の現代美術と肩を並べる創造的な表現芸術**へと変貌を遂げた、非常に重要な時代でした。



