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◆骨董コラム◆歴代 柿右衛門の伝統
酒井田柿右衛門家年譜
1573年(天正元年) | 酒井田弥次郎(初代柿右衛門の父親)筑後地方(福岡県八女市酒井田)の領主の子として生まれる。 |
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1582年(天正10年) | 肥前(佐賀)龍造寺氏との戦いに敗れ人質として肥前白石郷に住す。 |
1596年(慶長元年) | 酒井田弥次郎(円西)の子として喜三右衛門(初代柿右衛門)生まれる。 |
1616年(元和2年) | この頃、朝鮮陶工李参平 有田泉山に白磁鉱を発見。 |
1626年(寛永3年) | 高原五郎七(豊臣秀吉御用焼物師)酒井田家へ四年間逗留・作陶を教える。 |
1628年(寛永5年) | この頃、鍋島藩御用窯を有田岩谷川内に設ける。 |
1635年(寛永12年) | この頃、酒井田喜三右衛門 白石郷より有田に移住か。 |
1637年(寛永15年) | 鍋島藩、陶業者826人を追放。有田の窯場を13カ所に整理統合。 |
1642年(寛永19年) | 鍋島藩の長崎警護はじまる。 |
1643年(寛永20年) | この頃から初代柿右衛門赤絵物の制作を始める。 |
1646年(正保3年) | 初代柿右衛門 赤絵物を長崎にて売り始める。 |
1647年(正保4年) | 日本の磁器が初めて輸出される。 |
1651年(慶安4年) | 「徳川実紀」に将軍家光が「今利新陶の茶碗 皿御覧ぜられる」と記してある。 |
1652年(慶安5年) | 京都鹿苑寺鳳林和尚の日記「隔冥記」に「今里之錦手鉢」をもらったことが記してある。 |
1658年(万治元年) | この頃、初代柿右衛門 金銀の絵付に成功。 |
1659年(万治2年) | オランダ東インド会社による日本磁器輸出本格化。 |
1661年(寛文元年) | この頃、鍋島藩御用窯 柿右衛門窯のある南川原山に移る。 |
1666年(寛文6年) | 初代柿右衛門 歿(71才)。 |
1672年(寛文12年) | 鍋島藩は有田窯場を本窯業者180戸赤絵業者11軒と定めた。 |
1675年(延宝3年) | この頃、鍋島藩御用窯大川内山に移る。 |
1677年(延宝5年) | この年に建立された京都西本願寺転輪経蔵の内部腰瓦に柿右衛門様式の色絵陶板が使われている。 |
1685年(貞亨2年) | 「貞亨2年」銘の土型が酒井田家に伝世している(以後、明治までの土型約800点が伝世している)。 |
1688年(元禄元年) | イギリス バーレイハウスの目録に各種有田磁器を記している。 |
1689年(元禄2年) | 諫早現川焼創始者 田中刑部左衛門、柿右衛門窯にて修業。 |
1690年(元禄3年) | 酒井田家の秘伝書「土合帳 赤絵具覚(他見無用)」記される。 |
1693年(元禄6年) | 「元禄六酉柿」銘の色絵帆掛船文葉形皿が現存。 |
1710年(宝永7年) | この頃、ドイツ マイセン窯にて磁器の制作に成功。 |
1713年(正徳3年) | 「和漢三才図絵」伊万里焼の染付と赤絵金襴手の流行りを記し合わせて柿右衛門を名工として記している。 |
1725年(亨保10年) | ドイツ マイセン窯にて色絵付けに成功。その後ヨーロッパ各地で柿右衛門写しが多く造られる。 |
1757年(宝暦7年) | オランダ東インド会社の有田磁器輸出が打ち切られる。 |
1770年(明和7年) | 赤絵屋登録件数を16軒とし、これを永代の限定数とする。 |
1807年(文化4年) | この年刊行の「睡余小録」に柿右衛門人形について「徳子吉野の像なり伊満利柿右衛門の造ところにて」の記述がある。 |
1809年(文化6年) | 本窯業者を220軒に増加。 |
1828年(文政11年) | 有田大火 内山窯場をほとんど灰にする。 |
1871年(明治4年) | 鍋島藩御用窯廃止。 |
1885年(明治18年) | 東京上野の「陶磁器等の共進会」の折に農商務卿 西郷従道より初代柿右衛門の功績を追賞し金30円を下付された。 |
1890年(明治23年) | 十一代柿右衛門「第三回内国勧業博覧会」有功賞受賞。 |
1893年(明治26年) | 十一代柿右衛門「アメリカコロンブス万国博覧会」二等有功賞受賞。 |
1912年(大正元年) | 十一代片岡仁左衛門「名工柿右衛門」歌舞伎座にて初演。 |
1917年(大正6年) | 十一代柿右衛門 歿(73才)。 |
1922年(大正11年) | 尋常小学校国語読本巻十に「陶工柿右衛門」掲載される。 |
1953年(昭和28年) | 十二代柿右衛門 渋男(13代)親子によって濁手素地の復元に成功する。 |
1955年(昭和30年) | 十二代柿右衛門「第二回日本伝統工芸展」にて日本工芸会賞を受賞。 |
1957年(昭和32年) | 十二代柿右衛門「第四回日本伝統工芸展」にて文化財保護委員会委員長賞を受賞。 |
1958年(昭和33年) | 十二代柿右衛門「ブリュッセル万国博覧会」グランプリ受賞。 |
1962年(昭和37年) | 十二代柿右衛門 勲四等瑞宝章綬章。 |
1963年(昭和38年) | 十二代柿右衛門 歿(八十二才)。 |
1971年(昭和46年) | 「濁手」が国の重要無形文化財総合指定を受ける。 |
1972年(昭和47年) | 十三代柿右衛門 紫綬褒章を受賞。 |
1976年(昭和51年) | 柿右衛門古窯跡第一次発掘。 |
1977年(昭和52年) | 柿右衛門古窯跡第二次発掘。 |
1978年(昭和53年) | 十三代柿右衛門 勲四等旭日小綬章受賞。 柿右衛門古窯跡第三次発掘。 |
1982年(昭和57年) | 十三代柿右衛門 歿(75才)正五位に叙せられる。 |
1998年(平成10年) | 十四代柿右衛門 外務大臣表彰。 |
1999年(平成11年) | 十四代柿右衛門 文部大臣表彰。 |
2001年(平成13年) | 十四代柿右衛門 色絵磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 |
2005年(平成17年) | 十四代柿右衛門 旭日中綬章を受賞。 |
2013年(平成25年) | 十四代柿右衛門 歿(78才)従五位に叙せられる。 |
2014年(平成26年) | 2月4日 十五代酒井田柿右衛門を襲名。 |
柿右衛門様式は、濁手と呼ばれる白い地色に文様を描き、明るい色彩による上絵付けを施されています。絵付けは左右非対称の構図を取り、地色が見える範囲を広く取ることが特徴と言われています。
上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられることが多いです。また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例もあります。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせるのが特徴です。
独特の乳白色の地色は濁手と呼ばれ、赤色の釉薬との組み合わせによって非常に映えると言われています。しかし、原料となる土の耐火性が強いなど調合が困難である。さらに焼成時・乾燥時の体積変化が非常に大きいため、作製が困難であり歩留まりが良くないとされています。
絵柄は時代とともに変化しており、初期は明赤絵の影響があったが、やがて狩野派、土佐派、四条派、琳派などの影響が入っていったそうです。
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