玉手箱コラム
2025.04.15
◆骨董コラム◆初代徳田八十吉:九谷焼の近代化に生涯を捧げた巨匠
九谷焼の近代化に生涯を捧げた巨匠
初代徳田八十吉は、九谷焼の近代化と古九谷様式の復興に生涯を捧げた重要な陶芸家です。吉田屋窯風の作風を得意とし、「鬼仏」の号で知られる彼は、1953年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。彼の作品は国内外で高く評価され、また後進の育成にも尽力し、九谷焼の伝統を次世代に継承する役割を果たしました。
経歴
生い立ちと修業時代
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誕生: 1873年11月20日、石川県能美郡小松大文字町(現小松市)の染物屋に生まれる
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明治時代初期の日本で、伝統工芸が近代化の波に直面していた時代に生まれました
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修業開始: 1890年、14歳で小学校高等科卒業後に絵画の勉強を始める
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当初は日本画家を志して荒木探令に師事しましたが、次第に陶芸へと興味を移していきました
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陶芸への道: 義兄の松本佐平(佐瓶)に師事し、陶芸の道に進む
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家業の染物業と兄の陶画工場の絵付けを手伝いながら、窯元で染付けを学びました
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独立: 20歳で独立し、古九谷の研究を重ねる
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特に吉田屋窯の青手と呼ばれる様式に惹かれ、その復興と革新に力を注ぎました
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陶芸家としての活躍
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「八十吉」の名: 1917年に「八十吉」を名乗り始める
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この名前は後に四代にわたって受け継がれる名跡となりました
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展覧会の開催: 1923年に中村秋塘とともに小松市で九谷焼展覧会を開催
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この展覧会は地元の九谷焼振興に大きく貢献しました
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皇室関連の制作: 1922年に東宮殿下成婚慶典に奉納される花瓶を制作、1928年には御大典の折に萬歳楽置物を制作献上
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皇室からの信頼を得るほどの高い技術と芸術性を認められていました
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苦難と復興: 1932年に小松町橋南の大火で工房兼家屋、資料などを失うが、翌1933年に工房兼家屋を新築
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大きな災害にも挫けず、再起を果たした不屈の精神の持ち主でした
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最高の栄誉: 1953年に文部省より上絵付(九谷)の分野で重要無形文化財保持者の認定を受ける
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いわゆる「人間国宝」の称号を得て、日本を代表する陶芸家として認められました
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死去: 1956年2月20日、82歳で逝去
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生涯を九谷焼の発展と古九谷様式の復興に捧げました
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作品の特徴
様式と技法
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吉田屋様式: 吉田屋窯風の作風を得意とした
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吉田屋様式とは、濃い青(呉須)を基調とし、赤、黄、緑、紫などの釉薬で彩色する古九谷の様式です
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古九谷の再現: 古九谷・吉田屋の再現に生涯を賭けた
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江戸時代に途絶えた古九谷様式を研究し、その技法を復活させることに尽力しました
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創造的発展: 古九谷吉田屋の写しから創造の九谷焼へと昇華
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単なる模倣ではなく、伝統を踏まえた上での独自の創造性を追求しました
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技術的革新
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釉薬の改良: 釉薬の改良を行い、「深厚口釉」という独自の彩釉を発明
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この独自の釉薬技術により、従来の九谷焼にはない深みと艶のある色彩表現を可能にしました
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品質と評価: 次々と品評会褒賞や博覧会優等賞を受賞
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その技術の高さは国内外の展覧会で高く評価され、多くの賞を受賞しました
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芸術性と表現
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芸術的感性: 古九谷の美しさに八十吉独特の感性を加えた作品群
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伝統技法に近代的な芸術感覚を融合させた革新的な表現を追求しました
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輸出陶器としての九谷焼: “ジャパンクタニ”として世界中の賞賛を集めた
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明治20年代には日本から海外への輸出陶器第1位を誇るほど国際的に評価されていました
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重要作品
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「絵変皿五種」: 吉田屋風の美しい色彩と繊細な絵付けが特徴
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五種類の異なる文様が描かれた皿のセットで、各皿に独自の美しい意匠が施されています
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東宮殿下成婚慶典奉納花瓶(1922年): 皇室に献上された格式高い作品
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精緻な技術と美しい色彩で、皇室の特別な行事にふさわしい格調高い作品です
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御大典萬歳楽置物(1928年): 昭和天皇即位の大典に際して制作された祝賀作品
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伝統と格式を重んじながらも独自の芸術性を表現した記念碑的な作品です
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九谷焼界への貢献
後継者の育成
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指導者としての功績: 浅蔵五十吉、二代目徳田八十吉、三代目徳田八十吉等を育成
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多くの優れた陶芸家を育て、九谷焼の伝統技術と精神を次世代に継承しました
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家系による継承: 初代没後、二代目(養子の外次)、三代目(孫の正彦)と技を受け継ぎ、現在は四代目が伝統を継承
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徳田家は四代にわたって九谷焼の伝統を守り、発展させてきました
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九谷焼の近代化と国際化
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近代工芸作家の先駆者: 近代工芸作家の先駆者として活躍
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伝統と革新のバランスを取りながら、九谷焼を近代的な工芸として確立しました
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国際的評価: 海外でも高く評価され、九谷焼の国際的地位向上に貢献
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“ジャパンクタニ”として世界市場で認められ、日本の陶芸文化を世界に広めました
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初代徳田八十吉は、九谷焼の歴史において極めて重要な位置を占める陶芸家です。吉田屋様式を中心とした古九谷の復興と革新に生涯を捧げ、独自の「深厚口釉」などの技術革新も成し遂げました。皇室への作品献上や重要無形文化財保持者の認定など、その功績は多岐にわたります。
また、多くの優れた陶芸家を育成し、自身の家系でも四代にわたって技術と精神を継承させることで、九谷焼の伝統を未来へと繋ぐ重要な役割を果たしました。初代徳田八十吉の芸術的感性と技術革新の精神は、現代の九谷焼にも大きな影響を与え続けています。