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◆骨董コラム◆初代 徳田八十吉、伝統復興と革新に捧げた生涯

初代徳田八十吉:九谷焼の近代化に生涯を捧げた巨匠

初代 徳田八十吉は、九谷焼の歴史において極めて重要な位置を占める陶芸家です。彼は、江戸時代に途絶えた古九谷様式(特に吉田屋窯風)の復興と、九谷焼の近代化という二大命題に生涯を捧げました。1953年には上絵付(九谷)の分野で**重要無形文化財保持者(人間国宝)**に認定され、その功績は国内外で高く評価されています。


黎明期の光:生い立ちと陶芸への道

初代八十吉は1873年、石川県小松の染物屋に生まれました。当初は日本画家を志し、荒木探令に師事しますが、次第に陶芸の道へと転向します。14歳で義兄の松本佐平に弟子入りし、染物業と陶画工場の絵付けを手伝いながら、窯元で染付けを習得しました。

20歳で独立した彼は、特に吉田屋窯青手と呼ばれる様式に深く惹かれ、その研究と復興に生涯を賭けることになります。1917年に「八十吉」の名跡を名乗り、この名は後に四代にわたって九谷焼の伝統を継承する重みのある名前となりました。

1932年の小松大火で工房と多くの資料を失う苦難に見舞われますが、翌年には再建を果たすという不屈の精神の持ち主でした。


作品の特徴:吉田屋様式の復興と「深厚口釉」の革新

初代八十吉の作品の核は、古九谷・吉田屋様式の再現と創造的発展にあります。

1. 吉田屋様式への傾倒

彼は、濃い青(呉須)を基調に、赤、黄、緑、紫などの鮮やかな釉薬で彩色する吉田屋様式を得意としました。単なる模倣に留まらず、伝統を踏まえた上で独自の芸術性を加え、創造的な九谷焼へと昇華させました。

2. 技術的革新:「深厚口釉」

八十吉は、九谷焼の色彩表現を深めるため、釉薬の改良にも取り組みました。その結果、独自の彩釉**「深厚口釉(しんこうぐちゆう)」を発明。これにより、従来の九谷焼にはなかった深みと艶のある色彩表現**を可能にし、技術的な革新を成し遂げました。

3. 高い評価と栄誉

1923年の九谷焼展覧会開催による地元への貢献をはじめ、1922年には東宮殿下成婚慶典奉納花瓶、1928年には御大典萬歳楽置物を制作・献上するなど、皇室からの信頼を得るほど高い技術と芸術性が認められていました。

彼の作品は次々と品評会や博覧会で優等賞を受賞し、九谷焼が**「ジャパンクタニ」**として明治時代に海外で高い賞賛を集める立役者の一人となりました。


九谷焼界への貢献:伝統の未来を繋ぐ

初代八十吉の功績は、自身の作品に留まりません。

彼は、二代目、三代目徳田八十吉など、多くの優れた陶芸家を育成し、九谷焼の伝統技術と精神を次世代に継承する重要な役割を果たしました。また、自身の家系においても、その技と名は四代にわたって受け継がれており、九谷焼の歴史における最も重要な名跡の一つとなっています。

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