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◆骨董コラム◆日本海を制した幻の古陶珠洲焼とは

珠洲焼は、かつて日本海側の広大な地域に流通しながら、戦国時代を目前に忽然と姿を消した「幻の古陶」です。現在の石川県・能登半島先端で生まれ、中世日本を代表する焼き物として栄華を極めました。約400年の時を経て現代に蘇った珠洲焼は、その独特の灰黒色の風合いと素朴で力強い美しさで、今も人々を魅了し続けています。
珠洲焼の歴史:日本列島の四分の一を商圏とした栄華と謎
誕生と最盛期
珠洲焼は、12世紀中葉(平安時代末期)、能登半島先端の珠洲で誕生しました。能登最大の荘園「若山荘」の成立と時を同じくして生産が始まったと考えられています。
13〜14世紀に最盛期を迎えると、その流通範囲は驚くべき広さになりました。北海道南部から福井県に至る日本海側を縦断し、日本列島の約4分の1を商圏とする一大勢力となりました。これは、太平洋側の常滑焼と並び、中世の物流ネットワークを示す貴重な証拠です。
突然の消滅と復興
しかし、珠洲焼の栄光は長くは続きませんでした。15世紀後半に急速に衰退し、**15世紀末(室町時代中期)には生産が途絶え、忽然と歴史から姿を消しました。この突然の消滅の理由は、今日まで明確には解明されておらず、「幻の古陶」**と呼ばれる所以です。
約400年間眠っていた珠洲焼は、昭和24年(1949年)に窯跡の検証が始まり、昭和30年代以降の研究・発掘を経て、**昭和53年(1978年)**に「再興珠洲焼」として現代に復活を遂げました。
珠洲焼の特徴:須恵器の技を受け継いだ「燻べ焼き」
珠洲焼の最大の魅力である独特の風合いは、古代の技法を受け継いだ製法によって生み出されます。
1. 須恵器の継承と輪積み
製法は、古墳時代中期に大陸から伝わった**須恵器(すえき)の技術を受け継いでいます。鉄分を多く含む珠洲の土を使い、粘土紐を積み上げて形を整える「輪積み(わづみ)」という古代からの技法で作られました。主な製品は壺、甕(かめ)、鉢(擂り鉢として使用)**の3種類が中心でした。
2. 独自の焼成技法「燻べ焼き」
珠洲焼の色彩と質感の秘密は、**窖窯(あながま)**という地中に掘った窯での特殊な焼成にあります。
- 釉薬不使用: 一般的な焼き物のように釉薬(うわぐすり)は使いません。
- 高温と還元炎焼成: 1200度以上の高温で焼き締める際、窯を意図的に酸欠状態にする**「還元炎焼成」**を行います。
- 灰黒色の風合い: 火を止めた後も窯を密閉し、酸欠状態(燻べ焼き)にすることで、粘土中の鉄分が黒く発色。溶けた薪の灰が自然の釉薬となり、焼き上がった製品は青灰から灰黒色という独特の艶と風合いを帯びます。
3. 素朴な装飾
初期には多彩な装飾が見られましたが、時代が下るにつれて簡素化し、**櫛目文(くしめもん)**が全期間を通じて見られる代表的な装飾となりました。